| 分類 | 小市民類おたく中年属 |
| ペンネーム | 矢野健太郎(もともとは{建}だった。デビュー時に誤植で{健}を使われ、天下の集英社の本に載ってしまった以上、プロではこれで通せと言われ、有名な数学者と同名になってしまう。今ではサッカー選手ともバッティング) |
| 生年月日 | 1957/10/03 |
| 出身地 | 東京で誕生。2歳半で京都へ。小1の3学期から再び東京。小4の3学期から大阪。大学を横から出て三たび東京へ、現在に至る。 |
| 最終学歴 | 大阪芸術大学芸術学部デザイン科・・・を4年かけて中退。(あ、中退じゃ学歴とは言わんか) |
| マンガ暦 | もともとマンガ好きで教科書もノートも落書きだらけタイプの子供だったが、親が「マンガなんか読むとバカになる」主義で、ほとんど買ってもらえず。友人宅や床屋や医院で読みふける。 小学校3年生の頃から友人の影響でコマを割ったマンガを描くように。ためた小遣いでひそかに「マンガ家入門」(石森章太郎:著)を買い、小6で初めてペンとインクを使う。 中学でマン研に入るが、マンガはほとんど描かず部室でふざけてばかりいた。 大阪府立島上高校漫画研究部創設に係わる(当時の代表作:「スパイハンターJK−1」PN=矢野険太郎) 大阪芸大マンガ・アニメ同好会「グループCAS(かす)」設立・初代会長(当時の代表作「ネオロイダー(シグマ)」) コミックバザールを始めとする関西のイベント黎明期に頻繁に顔を出す。 上京後、アシ先で知り合ったあおきてつお氏の「ぷあ・こーぽ」に加入。コミケ(晴海以前の!)にも顔を出すが、自身がプロになった後は同人活動から足を洗い現在に至る。 |
| 職歴 | 1980年6月〜1981年4月(?)野部利雄先生の専属アシスタント。 1981年2月、集英社ヤングジャンプに「強化戦士アームピット」(第2回青年漫画大賞準入選作)でデビュー。 以後渡りアシ(星野之宣先生、尾瀬あきら先生、志賀公江先生、サトウユウ先生、ひらいけい先生)しながらネーム持ち込み生活 1982年、初連載(「ネコじゃないモン!」)開始とともに専業漫画家に。 |
| 賞罰 | 特に無し |
| 免許、資格 | な〜んも無し |
| 家族 | 配偶者1名、娘2名、息子2名 |
| 趣味 | おたく系いろいろ |
| 持病 | 十二指腸潰瘍/左膝靭帯断裂/慢性的鼻炎/近視・乱視に加え最近では老眼も。トホホ |
| 好きなもの | たくさん |
| 嫌いなもの | いっぱい |
| 音楽 | 70年代プログレ/南沙織/谷山浩子/ビビアン・スー |
| 野望 | 遺伝子治療でハゲが治せる時代まで生きていたい |
| 必殺技 | 入院 |
| 弱点 | ちょー筆不精 |